【不学習不成長】なぜフィリピン人はあんな風なのか?/コラム – PHILESSONブログ

【不学習不成長】なぜフィリピン人はあんな風なのか?/コラム

今回の記事内容は「そんなの間違っている!」「何様だ!」と不快に思う方もいるかもしれないので予め断りを入れさせてもらうと、もちろん全てのフィリピン人に当てはまる内容ではないということ。ただ敢えて今回ネガティブなことを書くのはフィリピンで生活するとこんな風に考える人が出るということも時には誰かの為になることもある思うからである。ということでここからは先が気になる人だけ読み進めてください。

フィリピンの物差し

フィリピン人と関わっている人、特に仕事をしている人の多くはその責任感の無さや有言不実行、雑な仕事ぶり、予測能力の低さなどに頭を悩ませていると思う。難易度の高いことをしている訳ではないのにこちらの要求レベルに達しないことが多いのはなぜか。その理由は99%の同胞のフィリピン人の要求するレベルが低いからである。

つまりフィリピン人を取り巻く環境がそのレベルの低さを容認しているのでフィリピンという物差しの範囲内では合格しているのである。ただそれは一般的な日本人からすると不合格そのものなのでそこに埋まらない溝が出来てしまう。そしてそれは日本人にとってトラブルとストレスの種になるのである。

フィリピンだからスパイラル

フィリピン人がフィリピン人のレベルの低さを容認していると書いたが、決してそのレベルの低さ自体をフィリピン人が満足している訳ではない。実は彼らも諦めている部分があるのである。日本人在住者の口癖とも言える「どうせフィリピンだから」はフィリピン人も自虐的に思っており、彼ら自身もありとあらゆる事柄で妥協をしながら生活している。

タイムマシーンは存在しないので昔のフィリピン人の様子がどうだったのかは不明だが、現在は完全にこの「フィリピンだからスパイラル」に陥っている。

誰かに怒られなくなった時はもう期待されていない状態であるのと同じで、高いレベルを求められていないのでフィリピン人からも期待されていないのである。そしてこれではレベルを維持することも出来ず徐々に妥協が妥協を呼びレベルが低くなっていく負の「フィリピンだからスパイラル」でちょっとずつ質が悪くなり最悪な状態になりつつある。

100人中99人のフィリピン人

100人中1人くらいはまともに付き合うことが出来るフィリピン人はいるが、それ以外の99人とは出来るだけ関りたくないというのが本音である。彼らは口やフェイスブック上ではまともなことを言って善人のように見えるが現実はまったくそうではない。カトリック関係の宗教による影響は多分にあると思うが、それを言い訳にしていいとは聖書には書いていないはずである。

何がダメなのか

先程予測能力がないと書いたがこれは致命的である。車やバイクの運転一つにしても予測が出来ないので見通しの悪いカーブで平気で追い越しを始める。予測能力の欠如は時に大きなトラブルの要因になり得る恐ろしいことである。

もし○○だったらどうなる?何が起きる?ということを考えずとにかく目の前の出来事を低いレベルでこなすだけなので、あらゆる分野で問題が多発している。メンテナンスという意識が低いこともその一つで大きな事故は後を絶たない。ファミリー計画もその一つでどんどん子供が出来て家族は多くなるし、貯蓄もしないので行き当たりばったりな生活となってしまう。

その瞬間を生きる

フィリピンには「1日だけ王様気分」という意味合いの言葉がある。これは給料が出たらすぐに欲しいものを買い、食べたいものを食べ、欲求のままに給料の大半のお金を使うことを言うが、彼らにも言い分はある。それは「いつも貧しいから給料が出た日くらいは贅沢したい。そうしないと毎日貧乏で悲しい」というもの。

確かに1日くらいは普段出来ない贅沢をするのは悪いことではない。しかし自分の人生を豊かにするという意味ではなく、根本的に今置かれている状況を改善しようという意識や計画のなさの表れでもある。もちろん給料を毎月湯水のように使っているので突然の医療費などの突発的な出来事に対応出来なくなるが、そこまで考えが至らない、もしくは目先の欲求優先で気付かないフリをしているのが現状である。

学ぶということ

大人がそんな感じなので当然その子供も同じような思考を持つようになる。そしてその瞬間の欲求を最優先して生きているので当然何かを学び改善する機会はない。なぜなら身に起きた出来事から学ぶには立ち止まり振り返って考えることが求められる。しかし彼らにとっては欲求を満たせる時間をわざわざそんな面倒なことには使わない。それにみんなそんな感じなので誰かから指摘されることもないので、経験から学ぶ機会を持たないままで、思考の成長はずっと停止中である。

言い訳・保身

日本人からするとフィリピン人は平気で悪いことをする。家族愛が強いとか言われているが、私がいままで見聞きしてきた経験からすると家族間・親族間のトラブルは多い。もちろん外国人への詐欺まがなことも絶えない。

ここからは教育や倫理観の問題になるが、素直に謝ることが出来るフィリピン人は少ない。中途半端にアメリカナイズされているからなのか知らないが謝罪せずに質の低い嘘や言い訳ばかりする。それは全て自分の保身であり、被害を被った人に対しての責任感というものはない。

自分中心の人生は多いに結構だが、フィリピン人の場合はそこに常識と良識、良心も欠如がちなので他人にとってはただのトラブルメーカーでしかない。都合が悪くなったらすぐに逃げるのはフィリピン人あるある。そしてほとぼりなんか一生冷めないのに平気な顔してセカンドチャンスを下さいとか言い始めるのもフィリピンあるあるのセットメニューとなっている。

外国人としてフィリピン人と個人で関わる場合は注意が必要で「このフィリピン人は大丈夫」という風に思っても念には念を入れてよく考えた方がいい場合が多い。恩を忘れて平気で裏切るし、義理という概念も希薄なので痛い目を見るのは立場の弱い外国人である。

甘え

どうせ相手は遅れてくるから自分も適当に遅れていく、有名なフィリピンタイムが起こる理由の一つだが、あらゆる部分で時間の有限性とか効率、合理性などは考えられていない。

また問題が起こっても「私関係ない」か、当事者の場合は軽く笑って済まされる甘さがある。その甘さは自分に対してもそうだし、他人に対しても同じである。こうやってフィリピン人はスマホを持って世界と繋がっていても成長・改善することなくこの国だけ「時が止まったまま」なのだ。

対応方法

100人中1人のフィリピン人を見つけること以外に出来ることはなく、期待するのもこちらの負担ばかりになるので具体的な対応策は残念ながらない。フィリピン人はこういうものだと割り切り、受け入れて楽しく過ごせる人もいるし、実際はもう身動きが取れずにその世界にいることしか出来ない人もいるかもしれない。

ただ私はそうではないのでそんなフィリピン人を見るとなるべく関わらないようにしている。多様性の欠如と言われればそれまでだが仕事上の利害関係がある中で忍耐を持ってフィリピン人と接していることも多いのでせめて私生活ではそんなストレスはご免被りたい。

ただただフィリピン人と飲んで遊んで浅く付き合うのは簡単だが、そんな関係からも何も見いだせないことが分かると「ただ現実から目を背けてその瞬間だけを楽しむ毎日を送っている人々」という風にしか見えなくなるのだ。

最後に

フィリピン人と国際結婚し長い期間生活を共にしている日本人はある意味尊敬している。きっとうかがい知れない辛抱もあると思うが、それを受け入れている我慢強さは器が大きいか完全に諦めていないと無理だろう。

内側から見るフィリピンはとても残念な国のように思う。労働人口も多く本来であればさまざまな期待が持てる国だ。でも国の中身は結局人である。このまま不学習不成長が続く限りこの国の本当の発展は無理だろう。

今後もいろんな場所や分野が他国の資本で開発されていくとは思うが、立派な高層ビルがあっても、人々がよりネットで世界と繋がっても全部はりぼてとなる。

いくらポテンシャルはあってもハングリーさがなければ立ち上がることはないし、他の国ともうまく付き合うことは出来ない。国と国という大きな枠組みでいうと体裁を整えることが出来ても普通の人々がいるミクロの世界ではそのメッキはすぐに剥がれて相手にされなくなるものである。

フィリピンという国は私のような外国人にとってはあくまで他国なのでそれが「文化・民度である」という魔法の言い訳を言われればそれまでだが、残念な国であるということには変わりない。

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